北大東島~燐鉱石採掘場跡トレッキング編
現在の日本では、燐鉱石は採掘されていないが、かつて2か所だけ採掘されていた場所がある。そのうちのひとつが、北大東島だ(ちなみにもうひとつは、島から160キロ南にある沖大東島=現在は無人島でしかも米軍の射爆撃場となっている)。そもそも北大東島は、その燐鉱石のために開拓がはじめられたような島なのだが、1950(昭和25)年に採掘場は閉山。現在は島の北西部を中心に、様々な痕跡が残っている。今回は、その痕跡を巡るガイドツアーに参加してみた。

朝9時、前日自転車を借りた、集合場所の人材交流センターへ。きょうのトレッキング参加者は、私を含めて2名。まずはセンターで、燐鉱石採掘場の歴史についてレクチャーを受けたあと、車に乗って採掘場跡地に向かう。

さとうきび畑の片隅から何気なく森に入っていくと、もうそこは採掘場跡。ちなみに2017年に国の史跡に指定されているため、許可を得ているガイドツアーでないと入れない場所だ。

たった70年しか経っていないのに、ガジュマルの木などに覆われすっかりジャングル化している。露天掘りしていた場所とは思えない。

歩いてすぐに見えてくるのが、トンネルの跡。燐鉱石を港まで運ぶトロッコが通っていたトンネルだ。近くには、トロッコ用に敷かれたレールも残っている。

われた甕もそのまま残っている。鉱夫が飲み水用として使っていたものだそうだ。

燐鉱石の鉱脈に沿って、こんな縦穴も掘り進んでいったらしい。

採掘時に通路として使われていたと思われる石積みも、そこかしこに残っている。

北大東島で燐鉱石の採掘事業が始まったのは、1910(明治43)年のこと。一時中断していた時期はあったものの、最盛期には、年間約72000トンもの鉱石を搬出していた。その頃の島の人口は約2700人。2025年時点では約550人しかいないので、その賑わいぶりがわかる。

敗戦後、米軍主導で採掘が再開。しかし大型機械による採掘・運搬で品質が低下、買い手がなくなり1950(昭和25)年に閉山となってしまった。

1時間程採掘場跡を歩きまわり、再び入り口に戻る。ここでちょっとこわーい話を、ガイドさんがさりげなく話してくれる(どんな話かは、実際の現場でどうぞ)。このあと再び車に乗って、今度は街中にある燐鉱山関連の遺跡をまわる。まずは「下坂大衆風呂跡」。


「旧東洋製糖所長住宅跡」


「旧東洋製糖社員風呂場跡」


「階段式倉庫跡」

「旧東洋製糖北大東出張所」(かつて中には、事務所と売店があった。現在は再建し「りんこう交流館」として、町おこし事業などに利用)

「燐鉱石貯蔵庫跡」左側白っぽいところは、崩れてしまった部分を再現したもの。右画像は、逆側から見たもの。


近づいてみると…

逆側から見るとこんな感じに。

貯蔵庫のひとつに入ってみる。

トロッコのレールと思われるものが残っている

「積載桟橋跡」 ここから燐鉱石が積み出されていった。

関連施設の多くは閉山後放置され、台風による被害などで破壊・損傷が進んでいたが、一方燐鉱石の採掘から加工・運搬・貯蔵・積み出しに関する施設としては、国内に唯一残るものとしての価値が認められ、2017年に国の史跡に指定された。今は少しずつだが、再建&整備が進んでいる。

自分の中では、軍艦島レベルの遺跡群だった。実は最初あまり期待せずに参加を申し込んだのだが、いろいろ見聞きしていくうちに180度見方が変わった。どちらの大東島に行こうか悩んでいる人には、北大東島を強く推したい。なぜならサトウキビは沖縄のどこにでもあるものだが、燐鉱石はこの島しかない、しかも日本唯一のものだからだ。ただ保存活動は、始まったばかり。10年後果たしてどれだけ整備されているのか、変わっているのか、改めて訪問してみたいと思う。
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