洗濯ものが乾かない…

朝7時ころに目が覚め、ベッドから起き上がったところで、ショッキングな出来事が発覚。何と洗濯ものが全く乾いていません…。部屋に湿っぽさがあったこともあり、嫌な予感はしていたのですが、その予感が的中してしまいました。ただ外に干そうにも適当な場所がなく、結局エアコンの温風を入れっぱなしにし、1本だけあったハンガーをその下にかけ、早く乾かしたい順番にそこに代わりばんこに干すことにしました。また洗濯自体も、このあとは必要最小限にすることにしました。
ホテルの朝食

朝食は午前8時から。ちなみにツアーの出発時間は午前9時半からなので、朝はいつもゆったりめです。というのも実は、島内のほとんどの観光地の営業時間が、午前10時から午後5時のため、ツアーもそれに合わせて、スケジュールが組まれている訳です。

朝食は簡易ブッフェで、チーズ・ハム・卵・ウインナー・フルーツ・パン・デザートといったラインナップ。

ジュースは本物のフレッシュジュースで、これが一番美味しかったです。

以後基本的には、毎食メニューは同じ。ただデザートだけ、日替わりでいろいろなものが登場しましたが、そのどれもが結構美味しかった、という記憶があります。
初代王の埋葬地
この日は、島の南部から北海岸に向かって遺跡を巡ります。

予報では「午後から天気が崩れる」らしく、昼食前に可能な限り見学をすることに。

最初に訪れたのは「アフ・アカハンガ」。島の初代の王「ホトゥ・マトゥア」の埋葬地といわれている場所です。

入口にはそのホトゥ・マトゥア王の木像が建っていました。足もとにくっついているものは、入植に使われたとされるカヌーを表しています。

アフに着くと、ちょうど虹がかかっていました。もともとは立っていたモアイ像ですが、

部族間の争いで頭から倒されてしまった様子が、よくわかります。

頭に乗っていたプカオも、周りに転がっています。そのプカオをよく見ると、模様が刻まれているのがわかります。

あちらこちらに倒されたモアイと、転がったプカオがあります。


どのモアイも顔を下にして倒されていますが、これはモアイの眼にあるとされる、マナ(霊力)の力をなくすため、と言われていて、またその眼自体も徹底的に破壊されています。

周囲には、住居跡の遺跡も残されていて、こちらの洞窟は、雨風をしのげていつも涼しいので、自然の食料貯蔵庫として魚などの保存をしていたそうです。

こちらは、調理場の跡。


そして「ボートハウス」と呼ばれる、当時の家の跡も残っています。「ボートハウス」という名前の由来は、昔イースター島に大型カヌーでやって来た先住民たちが、カヌーをひっくり返して寝床として使っていた名残とのことです。上右画像の穴が開いた石は、土台として使われていたもので、そこに柱となる木を立てて上部で繋いで、葦で覆って家にしていたそうです。

ここでもお土産屋さんが、絶賛開店中。

また事務所の横には、太陽光発電パネルが設置されていました。
モアイ製造工場
続いて訪れたのは、「ラノ・ララク」と呼ばれているところ。

ここは、モアイの原材料を掘り出す石切り場と、モアイを造形するデザイン工房を兼ねた場所で、まさに巨大な”モアイの製造工場”跡です。

島にある約1,000体のモアイのうち、9割以上がここで作られたそうです。

というのも、ここが島で唯一、凝灰岩が採掘できる場所だったからで、


岩から切り出し途中の作りかけのものをはじめ、

運搬途中で倒されたものや、


土の中から顔だけ出したもの、またほとんど埋もれてしまっているものなどもあります。


またこちらは、「トゥクトリ」と呼ばれている”正座する”モアイ像。下から見ると、確かに正座しているように見えます。

また他のところと比べここでは、像のそばにかなり近づくことができます。


ひとつひとつの像の細かい部分まで観察しやすいので、上右の像のお腹に彫ってある、ヨーロッパの船の模様もじっくり、はっきり見ることができました。


改めて像を見ていると、表情や形が様々あることがわかります。

ちなみにこの一帯には、全部でおよそ400体のモアイ像があるそうです。


倒れている像を辿ると、運搬のルートが見えてくるような気がします。ここから本当にどうやって運んだのでしょうか…。

唯一残念だったのは、イースター島で最大と言われる20m近い作りかけの像を、近くで見ることができなかったことです。そこへ行く歩道が、ちょうど整備中で通行禁止になっていたのです。遠くから撮影してみたりもしましたが、やぱり大きさはよくわかりませんでした。
最大のアフ
続いて「ラノ・ララク」からほど近い、「アフ・トンガリキ」を訪れましたが…

ガイド氏が、入場券を「ラノ・ララク」に忘れてきてしまい、ドライバーが取りに戻っている間、しばし待つ事に。

「アフ・トンガリキ」は、島内最大のアフと言われ、長さは100m。15体のモアイを有しています。

でも元々は21体並んでいたらしく、

その6体分のスペースも、ちゃんと残っています。

また周囲には、その6体分のモアイの残骸と思われるものが並べられていました。

ちなみに、この像をアフの上に立たせたのは何と日本の企業で、高松市にある『タダノ』というクレーン会社です。そのきっかけは、1988年に放送された「世界ふしぎ発見」のイースター島特集!1960年に発生したチリ地震の際、この場所に津波が押し寄せたため、アフなどが流され無残な状況になってしまったことが放送されて、それを見ていたタダノの社長が援助を決心したそうです。修復作業は1992 年から 1996 年にかけて、タダノの技術指導と資金援助、そしてチリの考古学者の指導もとに行われました。当時のお金で、約1億8千万円かかったそうです。

そんなアフから少し離れたところに、1体のモアイ像が横たわっていました。顔が上を向いているので、近年になってここに置かれたものなのでしょうか。

プカオもまとめて並べられていました。

また「アフ・トンガリキ」の入口には、1体だけポツンと立つモアイ像があります。実はこれ1982年に日本に来日、大阪で開かれた「謎のイースター島巨石像展」で展示されたことがある像だとか。日本から戻ってきてから島の人々に、”旅するモアイ”と呼ばれるようになったそうです。15体の復元を含め、日本との意外な繋がりにビックリさせられました。
少し長くなってきたので、続きは「8日目②」へ。次回は”パワーストーン”が登場します。


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